アート
Posted on 2026-02-26
大竹伸朗 現代美術家列伝〈4〉
2026/2/26
M&C編集部・蓬田修一
2022年に東京・竹橋の国立近代美術館で開催された大竹伸朗の回顧展を見たときのインパクトをいまでも忘れない。わたしの15年間にわたる美術展鑑賞歴のなかでもハイライトのひとつである。
《モンシェリー:自画像としてのスクラップ小屋》(2012年)は何と素敵な作品なのだろう。
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《ダブ平&ニューシャネル》はギター(リード)、ギター(サイド)、ベース、ドラムで構成される「バンド」。遠隔操作により実際に演奏が可能だ。わたしは自分でもオリジナル曲をつくって、バンドを組んでライブ演奏している。できることなら《ダブ平&ニューシャネル》と共演したい。
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大竹伸朗は、絵画、コラージュ、写真、音、インスタレーションなど、多様な手法を横断しながら、一貫して「集積」と「編集」という方法を実践してきた。その作品は雑多で混沌としている。それは、都市、時間、人間の記憶そのものを引き受けようとする大竹の態度の表れである。
大竹が本格的に活動を始めた1970年代末から80年代にかけての日本は、大量消費社会が成熟し、情報や商品が都市にあふれていた時代だった。広告、ポスター、雑誌、音楽、テレビ。イメージは次々と生産され、消費され、忘れ去られていった。わたしもその時代、10代後半の時期を過ごしたから、当時の空気感はわたしなりによく分かる。わたしは地方の都市で育ち、東京の大学に進学した。その頃は情報が爆発したようだった。
こうした環境のなかで、大竹は完成されたイメージを提示するのではなく、使い捨てられていく断片を拾い集め、貼り重ね、塗り重ねる道を選んだ。
彼の代表的な手法であるコラージュは技法に留まらない。世界の受け取り方そのものである。印刷物の切れ端、看板、ノートの書き込み、録音された音といった断片は、本来それぞれ異なる文脈を持っている。それらを再配置することで、既存の意味は揺さぶられ、新たな関係が立ち上がり、新たな意味が生成され続ける。
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《モンシェリー:自画像としてのスクラップ小屋》(2012年)は、廃材、日用品、印刷物などを過剰に集積して構築された、小屋の形状をしたインスタレーションである。タイトルに「自画像」とあるのが興味を惹く。大竹にとって、これが自画像なのだ。この率直さがたまらなくいい。大竹にとっての自己とは、時間のなか蓄積してきた無数の断片の総体である。
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《ダブ平&ニューシャネル》はステージで演奏するロックバンドを模した造形作品だ。改造されたエレキやベースは本物のロックバンドのようなステージポジションでセッティングされている。アンプやスピーカーなどのPA設備も備える。
大竹は若い頃から音楽とりわけロックやダブに強い関心を持ち、ミュージシャンとの交流を重ねてきた。ダブという音楽は、既存の楽曲を分解し、残響や反復を強調して再構築するものだ。既存のものを解体し、編集によって新たな全体をつくるという手法は、大竹のコラージュ方法と響き合う。
この作品で注目すべきは、ステージにセッティングされた楽器たちが本物のバンドのように演奏することである。しかも演奏はステージから離れたミキサーブースからの遠隔操作で行われる。
通常のバンドでは、演奏者の身体が音楽を奏でる。しかしここでは機械仕掛けの楽器が遠隔操作で音を発する。バンドという形式を再構成してはいるが、バンドではない。この不思議な感覚がわたしの心を捉えた。
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大竹の美術は「純粋さ」を目指さない。近代美術が追求してきたひとつである、純化、形式の洗練とは距離を置き、混成や過剰を引き受ける。そして、作品には時間の層が刻まれている。錆び、汚れ、剥がれた痕跡などはそのまま残される。消費社会では古いものは更新され、忘却されるが、彼はそれらを拾い上げ、再び現在に引き戻す。
混沌とともにあり、忘却に抗し、時間を抱え込み、断片を結び直す。ここに大竹美術の美しさがある。
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