歴史 / 文学
Posted on 2025-12-16
比較文明史的視点から見た古事記編纂の特異性
2025/12/16
M&C編集部・蓬田修一
天武天皇による古事記編纂構想を、中国・ギリシア(アレキサンダー大王)・ローマ帝国という他文明の政治と歴史叙述のあり方と比較しながら整理し、日本古代国家における歴史意識の独自性を明らかにする。
古事記編纂の背景として、天武天皇が政権の正当性を確立する必要に迫られていたことはすでに確認した。
その際、歴史を編纂することで王権の由来を明確化しようとする発想は、中国王朝の歴史観に強く依拠している。
中国では、歴史とは単なる過去の記録ではなく、天命の所在を明らかにする政治的装置であった。王朝交替は必然的な天命の移動として語られ、前王朝の歴史を次王朝が編纂するという制度が確立していた。
歴史を書く行為そのものが、新たな政権の正統性を保証する役割を果たしていたのである。
天武天皇が帝紀・旧辞の整理を命じた背景には、このような中国的歴史観の影響があったと考えられる。
ただし、日本の場合、中国のような編年体正史をそのまま導入したわけではなく、神話と歌謡を中核に据えた物語的歴史が選択された点に大きな特徴がある。
この点を明確にするため、他地域の古代政権と歴史叙述の関係を見てみよう。
まず、マケドニア出身のアレキサンダー大王である。
アレキサンダーは広大な領域を征服し、世界史上まれに見る覇権を築いたが、彼自身が政権正当化のために国家的歴史編纂を構想した形跡は確認されていない。
ギリシア世界において、歴史は国家が独占するものではなく、哲学・修辞・記録の一分野として私人が記すものであった。
アレキサンダーの正当性は、武功と現実の勝利、さらにはヘラクレスやアキレウスに連なる英雄的血統によって示されたのであり、
文字化された歴史書による制度的保証は必要とされなかった。
もっとも、アレキサンダーは従軍歴史家を同行させ、戦争の記録を残すことを意識していた点は注目に値する。
しかしそれは、後世の評価に委ねるための素材提供にとどまり、中国的意味での「正史編纂」とは本質的に異なるものであった。
アレキサンダーは「歴史を書かせた王」ではあっても、「歴史によって王権を制度化した王」ではなかったのである。
次にローマ帝国を見てみると、ここでも日本や中国とは異なる歴史観が確認できる。
ローマでは、歴史叙述は基本的に元老院階級や知識人といった私人の営みであり、皇帝が国家事業として正史を編纂する伝統は存在しなかった。
リウィウスやタキトゥス、スエトニウスといった歴史家はいずれも私人であり、むしろ皇帝権力を相対化する立場から歴史を書いている。
ローマ皇帝が政権の正当性を示すために重視したのは、歴史書ではなく、
凱旋式や記念碑、貨幣の肖像と銘文といった視覚的・象徴的手段であった。
また、アウグストゥス体制を支えたウェルギリウスの『アエネーイス』は、皇帝権力の神話的起源を描く叙事詩であり、史書ではなく文学作品として機能した点が重要である。
この点において、『古事記』が神話的叙述を中核に据える点と一定の共通性を見いだすことができる。
しかし決定的な違いは、ローマではこの役割が文学に委ねられたのに対し、日本ではそれが国家事業として制度化された点にある。
天武天皇は、中国的な正史編纂の発想を受容しつつ、それを日本的神話世界と結合させ、国家主導で実現しようとした。
この試みは、ギリシア的でもローマ的でもなく、また中国的とも完全には一致しない、きわめて独自な歴史叙述の形態であった。
以上の比較から明らかになるのは、古事記が単なる文学作品や神話集ではなく、日本が初めて「歴史という装置」を用いて国家を語ろうとした試みであったという点である。
その試みが後世において長く理解されにくかったのは、
古事記が複数の文明的要素を折衷した、きわめて特異な性格を持つテクストであったからといえよう。
古事記は、日本最古の書であると同時に、日本が世界史的文脈の中で自らの国家像を模索した痕跡を刻む書物である。
その受容の困難さと再評価の歴史は、日本文学史を学ぶ上で不可欠な問題であると同時に、大変に興味深いテーマである。
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