アート

Posted on 2026-02-19
オノ・ヨーコ 現代美術家列伝〈3〉


2026/2/20
M&C編集部・蓬田修一

わたしのなかで近年、再評価著しい美術家がいる。オノ・ヨーコだ。

わたしは美術が好きだが、それと同じくらいロックミュージックが好きだ。ブリティッシュロック、アメリカンロック、ジャパニーズロック、最近は台湾ロックも聞く。

ロックの歴史においてビートルズは特別な存在だ。ビートルズは50年代のロックンロールをロックへと進化させた。ビートルズは60年代の世界のロック、ポップスシーンの頂点に君臨した。

わたしは勿論ビートルズの大ファンである。世界中のビートルズファン、ビートルズマニアにとって、オノ・ヨーコとはどのような存在であったか。

いつもジョン・レノンとともに行動し、あろうことかビートルズの聖域であるレコーディングスタジオに入り込み、常にジョンの傍らに座り続ける不気味な女。

ジョンが歌うコンサートステージに上がり、名だたる豪華ミュージシャンの演奏をバックに、臆面もなく金切声を得意げに張り上げる場違いな女。

YouTubeにはヨーコがジョンとともにステージに上がり奇声を発しているコンサート映像がいくつもアップされている。

映像には世界中のジョン・レノンファンが「Shut up, Yoko!」とコメントを書き込む。わたしもコメントこそ投稿しないが、心の中で「Shut up, Yoko!」と叫んだ。

こうした評価が長く続いたオノ・ヨーコだったが、わたしにとってのオノ・ヨーコの存在が変化するきっかけが訪れた。

2001年の横浜トリエンナーレだ。横浜赤レンガ倉庫会場に、オノ・ヨーコの鉄道車両を使った大型インスタレーション作品《FREIGHT TRAIN(貨物列車)》が展示された。

銃弾でいくつもの穴が開けられたドイツ国鉄の貨物車。夜になると穴から光が放ち、貨物車の天井からは空に向かってサーチライトの柱が伸びる。

屋外に展示された貨物車両を眺めながら、わたしはこの作品が妙に気になり、記憶のなかにいつまでも残った。

いま思えば、わたしは鉄道が好きなので、鉄道車両を使った作品ということが、わたしのなかに大きなインパクトを残したのだと思う。空に向かって伸びるサーチライトの光も、シンプルだが力強い演出だった。

それ以来「美術家オノ・ヨーコ」の存在が、わたしのなかでだんだんと大きくなっていった。

「美術家オノ・ヨーコ」を決定づけたのは、2011年の横浜トリエンナーレの横浜美術館エントランスロビーに展示された巨大な作品《TELEPHONE IN MAZE》だ。

白いアクリル板で作られた狭い渦巻き状の通路を中に入っていくと、高くて小さなテーブルに電話機が1台置いてある。そこにオノ・ヨーコから直接電話がかかってくる「かもしれない」のだ。

わたしも中に入った。ぐるぐると回りながらどんどん進んでいくと、電話機がポツンと机の上にある。いまにもオノ・ヨーコから電話がかかってきそうだった。なんて楽しくて心をワクワクさせる素敵な作品なんだろうと素直に感激した。

オノ・ヨーコの芸術を理解するためには、まず彼女が登場した時代の空気を押さえることが重要だ。

オノ・ヨーコが本格的に活動を始めた1960年代は、世界的に価値観が大きく揺れ動いていた時代だった。アメリカでは公民権運動やベトナム戦争への反戦運動が広がり、既存の権威や制度に対する疑問が噴出した。

芸術の分野でも、従来の絵画や彫刻といった枠組みを超えた新しい表現が模索された。音楽、美術、パフォーマンスが交差し、完成された作品よりも「行為」や「体験」そのものを重視する流れが生まれた。

こうした状況のなかで、オノ・ヨーコは前衛的な芸術運動であるフルクサスと関わりながら活動を開始した。

この時代のオノ・ヨーコの代表作《カット・ピース》は、ステージ上の椅子に座る彼女の衣服を、観客がハサミで切り取るという作品だ。

切り取る行為を通じて、鑑賞者は見る側ではなく、作品の構成要素になるという構造を提示した。

ここには芸術を「完成品」として提示するのではなく、「関係性」として外部に開いていくというオノ・ヨーコの意志が明確に表れている。

オノ・ヨーコは単に時代の反体制的なムードに乗ったのではないだろう。暴力や分断が広がる社会に対して、想像力や内省を通じて応えようとした。

彼女は芸術の固定観念と戦った。作品は目に見えるものでなければならない、技術的に高度でなければならない、といった前提に対して、彼女は疑問を投げかけた。

それからジェンダーの視点も作品に盛り込んだ。男性中心的な前衛芸術の世界において、女性でありアジア出身でもある彼女はしばしば周縁化された。《カット・ピース》は、観客の視線や行為が女性の身体に向けられる構造そのものをあぶり出した。

さらに、彼女は戦争や暴力とも向き合った。ジョン・レノンとともに行った平和活動「ベッド・イン」は、芸術と社会運動を結びつける試みだった。

そこでは声高なスローガンではなく、静かな持続的メッセージを彼女は選んだ。

いまオノ・ヨーコは世界的に再評価されているという。わたし自身が再評価しているので、その機運はよくわかる気がする。

世界的再評価の理由は、第一にコンセプチュアル・アートの先駆的存在としての位置づけがある。

作品を物質的な完成品から解放し、アイデアそのものを芸術とみなす考え方は、その後の現代美術に計り知れないほどの大きな影響を与えた。

第二に、参加型・関係性の芸術の先取りだ。鑑賞者が作品に関わる作品形式は、いまでは広く見られるが、その萌芽は彼女の活動の中に見出せる。

第三に、芸術と社会を結びつける姿勢だ。平和、愛といったテーマは、時代を超えて意味を持ち続ける。

オノ・ヨーコの芸術は、派手な技巧や壮大な物語を前面に出すものではない。むしろ、問いを差し出し、考える余白を残す表現だ。

その姿勢は、ときに誤解や批判も受けた。しかし、既存の枠組みに収まらない実践を続けたこと自体が、芸術の可能性を広げたことは事実だ。

彼女は激動の時代に攻撃的ではなく、静かにしかも粘り強く向き合ってきたことに、わたしは多大な敬意を表する。わたし自身、エネルギッシュに外に向かて活動する「動的」タイプではなく、室内で静かに継続して活動する「静的」タイプの人間なので、彼女の活動には大きな共感を覚える。

オノ・ヨーコは芸術とは何か、人と人はどう関わり合えるのか、という問いを、半世紀以上にわたり提示し続けてきた。このことはとても素晴らしいことだと、わたしは最大限に評価したい。

ベッド・イン風景。「平和を我等に」レコーディング中。手前は心理学者ティモシー・リアリー(1969年) Wikipediaより

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