文学

Posted on 2025-12-15
古事記成立をめぐる基礎問題 ――帝紀・旧辞と稗田阿礼の「誦習」をどう理解するか――


2025/12/15
M&C編集部・蓬田修一

『古事記』は、一般に「日本最古の歴史書」と説明される。しかし、その成立事情を一歩掘り下げて考え始めると、私たちはすぐに、史料的にきわめて不安定な地盤の上に立たされていることに気づく。

とりわけ重要なのが、『古事記』序文に記された「帝紀」と「旧辞」、そしてそれを「よみ習わされた」とされる稗田阿礼の存在である。

本稿では、この問題について、現在の国文学・古代史研究で共有されている理解を整理し、どこまでが史料に基づく確実な知見であり、どこからが解釈・推論の領域なのかを明確にしたい。


1 帝紀・旧辞は実在したのか

まず確認すべきは、「帝紀」と「旧辞」という資料が実在したかどうかである。結論から言えば、その存在自体は、現在の学界ではほぼ疑われていない

理由は単純で、『古事記』序文という8世紀初頭の公的文書が、それらを前提として書かれているからである。

ただし、ここで注意すべきなのは、「帝紀」「旧辞」を、現代の感覚でいう「一冊の書物」と考えると誤解を生むという点である。

現在の研究では、帝紀は歴代天皇の系譜や事績をまとめた記録群、旧辞は神話や氏族伝承、歌謡などを含む語りの集合体であり、複数の資料や口承伝承を総称した呼称であった可能性が高いと考えられている。

つまり、帝紀・旧辞とは、固定されたテクストというよりも、当時の王権が管理していた「歴史・神話情報の体系」だったと理解する方が適切である。


2 「よみ習わす」とは何を意味するのか

次に問題となるのが、天武天皇が稗田阿礼に帝紀・旧辞を「よみ習わした」という記述である。この「誦習」という語は、単なる朗読ではなく、繰り返し唱え、記憶し、正確に保持することを意味する。

古代社会では、書物の複製や流通はきわめて限定的であり、知識の保存と継承は、しばしば人間の記憶に依存していた。

稗田阿礼は、いわば「生きた記憶媒体」として、王権に直属する存在だったと考えられる。序文において阿礼の記憶力が強調されているのも、この役割の重要性を示している。

ここから重要なのは、古事記成立以前に、すでに「文字資料+口承記憶」という複合的な知識管理体制が存在していたという点である。


3 帝紀・旧辞は破棄されたのか

しばしば学生が疑問に思うのが、「稗田阿礼が暗記した後、帝紀・旧辞は破棄されたのか」という問題である。この点について、現在の学界の立場は慎重である。

意図的に破棄されたと断定できる史料は存在しない。したがって、「都合の悪いことが書かれていたから燃やされた」といった説明は、あくまで仮説の域を出ない。

しかし一方で、帝紀・旧辞が「原形のまま後世に伝わらなかった可能性が高い」ことも、ほぼ共通理解となっている。『古事記』『日本書紀』成立後、「原帝紀」「原旧辞」が参照された形跡はなく、名称としても歴史の表舞台から消えていくからである。

このことから、多くの研究者は、帝紀・旧辞の内容が、古事記や日本書紀の中に再編・吸収されたと考えている。


4 「都合の悪いこと」はあったのか

では、帝紀・旧辞には、当時の政権にとって不都合な内容が含まれていたのだろうか。この問いに対しても、学界は慎重だが、一定の推測は共有されている。

『古事記』『日本書紀』を精査すると、系譜の整理の不自然さ、神話異伝の取捨選択、特定氏族の正統性の強調などが顕著である。

これらは、編纂過程において、伝承が無批判に写されたのではなく、政治的意図のもとに再構成されたことを示している。

近年の研究では、単純な「隠蔽」や「削除」よりも、「語り直し」「配置換え」「意味づけの変更」といった操作が行われたと理解されることが多い。


5 なぜ「暗誦」という方法が選ばれたのか

最後に、なぜ天武天皇は、書物として確定させる前に、稗田阿礼に暗誦させるという方法を取ったのか。この点は、政治史的文脈と深く関わっている。

天武天皇は壬申の乱を経て即位しており、王権の正統性は決して盤石ではなかった。その状況下で、系譜や神話は、単なる過去の記録ではなく、王権を支える政治的資源であった。

暗誦による知識管理は、内容を王権の統制下に置き、異本の発生を防ぐという意味で、合理的な選択だったと考えられる。


結びにかえて

帝紀・旧辞、そして稗田阿礼の誦習をめぐる問題は、史料の乏しさゆえに、確定的な結論を出すことができない。

しかし、それでも研究が積み重ねられてきたのは、『古事記』というテクスト自体に、再構成の痕跡が明確に刻まれているからである。

重要なのは、何が事実として言えるのか、どこからが解釈なのかを常に意識する姿勢である。

この態度こそが、国文学研究において古代テクストと向き合う際の基本であり、『古事記』を読む第一歩でもある。

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