アート / コラム

Posted on 2024-05-31
初心者の西洋美術 旧約聖書「モーセとエジプト脱出」


 

パレスチナからエジプトへ

イスラエル人はパレスチナで暮らしていましたが、飢饉となり、豊かなエジプトへと移り住むようになります。

ちなみに、イスラエル人はエジプトでは「ヘブライ人」と呼ばれ、後には「ユダヤ人」と呼ばれるようになります。

エジプトでは新たに住み始めたイスラエル人が増え、暮らしも豊かになっていきました。

それをねたみ脅威に感じたファラオ(エジプト王)は、イスラエル人を奴隷とし、重労働を課しましす。

さらに、ファラオはイスラエル人の反発を恐れ、イスラエル人が生んだ男児は殺害するよう命じます。

あるイスラエル人の両親は、ファラオの命令を逃れるため、幼子をナイル川に流しました。

幼子はファラオの王女によって助けられ、成長してモーセと名付けられます。

 

イスラエル人を救え

成人になったモーセは、あるとき、エジプト人がイスラエル人をむち打つ姿を見て、エジプト人を殺してしまいます。

事態が発覚したため、モーセはミディアンという土地へ逃げます。

そこには、祭司と7人の娘が住んでいました。娘たちが井戸で羊に水を飲ませていると、羊飼いが嫌がらせをしました。その様子を見ていたモーセは、彼女たちを助けます。

祭司は娘を助けてもらったお礼に、モーセを招いて歓待し、娘のひとりを嫁がせます。

ある日、モーセは羊の群れを連れて、神の山に登ったとき、柴が燃えているのに気付きました。

よく見ていると、いつまでたっても燃え尽きません。不思議に思ったモーセは炎に近づきます。

すると、神の声が聞こえ、エジプトにいるイスラエル人をカナンへと連れ出すようにモーセに指示します。

モーセは、そんなことは自分にはできないと躊躇しますが、ついには神の指示に従うことを決めます。

 

十の災いと過越祭(すぎこしのまつり)

モーセはエジプトに向かい、ファラオにイスラエル人の解放を要求しました。

しかし、ファラオは認めません。モーセはこの要求は神の意志であることを示すため、以下の十の災いを次々にエジプトにもたらしました。

1. 血の災い ナイル川が血に変わる

2. かえるの災い かえるが全土を覆う

3. ぶよの災い 塵がぶよに変身し、人や家畜を襲う

4. あぶの災い あぶの大群が全土を襲う

5. 疫病の災い 疫病がエジプト人の家畜を襲う

6. 腫れ物の災い 塵が家畜にかかると、うみが出る腫れ物になる

7. 雹(ひょう)の災い 雹が人や家畜を打つ

8. いなごの災い いなごがあらゆる木を食い尽くす

9. 暗闇の災い 三日間、全土が暗闇になる

10. 初子(ういご、夫婦に初めて生まれた子ども)の災い エジプト人の初子が死ぬ

ファラオは九番目までの災いには屈しませんでしたが、十番目の「初子の災い」には勝てず、ついにイスラエル人を解放しました。

「初子の災い」のとき、イスラエル人は子羊の血を戸口に塗って、災いを逃れました。その後、この出来事は「過越祭(すぎこしのまつり)」として祝われることになります。

 

まっぷたつに割れる海

モーセはイスラエル人をエジプトから脱出させますが、ファラオはそれを追撃します。

逃げるイスラエル人は、海に出てしまいました。背後にはエジプト軍が迫っています。前は海ですから、逃げ場はありません。

そのとき、驚くべきことが起こりました。モーセが神に祈ると、目の前の海がふたつに割れて、道ができたのです。

イスラエル人はその道を通って海を渡りました。追ってきたエジプト軍もその道を通り始めると、海は閉じ始め、エジプト軍は大波に飲まれてしまったのです。

こうして、イスラエル人はエジプトを脱出できました。

下の彫刻作品《モーゼ》は、ミケランジェロによって作られました。ローマのサン・ピエトロ・イン・ヴィンコリ教会にあります。

 




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