アート
Posted on 2025-05-26
夏の絵画 《乾草の車》ジョン・コンスタブル(1821年)
風景画家の代表選手、イギリスのジョン・コンスタブルの《乾草の車》(ほしくさのくるま)である。
1821年に完成させた当時、ありふれた日常風景を真正面から堂々と描くこの作品は、美術界からは見向きもされなかった。
しかし、ごくわずかな画商がこの作品の価値に気づいた。フランスでのサロン・ド・パリに出品されると大きな話題となり、ブルボン朝シャルル10世からは金メダルが授与された。
作品の場所は、コンスタブルの地元だ。季節は初夏である。
馬車が荷車に干し草を積むため、川の浅瀬を渡り、向かいの牧草地へ行こうとしている。
絵の荷車をよく見ると、前輪が傾き、右に曲がる瞬間であることが分かる。
また、馬の首と背中に、赤色の馬具が見える。
赤はふつう、農耕馬には使われない。
コンスタブルは作品中、赤を補色として用いる。
画面前景に犬がいる。荷車にいる農夫が、この犬に向かって手を差し伸べている。物語性が感じられる情景だ。
☆ ☆
本作の絵画史的意義を、いくつかの観点から説明してみる。
1 風景画の地位向上
それまでのヨーロッパ絵画では、宗教画や歴史画が最も格の高いジャンルとされ、風景画は下位と見なされていた。
コンスタブルは、自然の風景をそれ自体価値ある主題として描き、風景画の芸術的地位を高めた。
2 写実性と観察の重視
本作は、コンスタブルが生まれ育ったサフォーク地方の風景が、非常に精緻に、しかし詩的な感受性をもって描かれている。
彼は雲や光の移ろいを丹念に観察・記録してキャンバスに定着させた。このアプローチは、後の印象派にも影響を与えた。
3 日常の自然の美を描く
本作は、特別な出来事ではなく、農村の日常風景(川を渡る馬車、農家、自然)を主題としている。
これは、「英雄的風景」ではなく「親密な自然」を描くという新しい方向性を示した。
田園の静けさや自然との共生は、ロマン主義的な感性と結びついている。
4 ロイヤル・アカデミーに対する挑戦
コンスタブルは保守的なロイヤル・アカデミーに受け入れられるまでに長い時間を要した。
53歳でようやく、ロイヤル・アカデミーの正会員になれたほどである。
本作はイギリスではなくフランスで先に高く評価された。
ドラクロワはこの作品に感銘を受け、自作に影響を受けたとされている。
5 自然主義から印象派への橋渡し
コンスタブルの筆致、特に空や水面の表現は、のちのバルビゾン派や印象派への先駆けと見なされる。
明確な輪郭を持たない自然の表情を捉える点で、写実と感性の中間を模索した点が革新的だった。
結論
本作は、自然への新しい眼差し、風景画の革新、そして近代絵画への橋渡しという意味で重要な作品だ。
単なる田園風景ではなく、産業化が進む19世紀初頭のイギリスにおいて、「失われゆく自然」への愛惜の眼差しでもあった。
(M&C編集部 蓬田修一)
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